海からの贈り物

 今はイタリアにいる友人から、教えてもらった本を読んでいます。その中の一節より

つめた貝

私は波の音の律動や、背中や足の皮膚にじかに差す日光や、髪に掛かかる波の飛沫しぶきにさらされているのを快く感じながら、浜辺の端まで歩いて行った。そして千鳥のように、海に入ってまた出て来た。それからびしょ濡れのまま、一人で過ごした一日の気持で満たされて、酔った感じで家に帰る。私は、まだ少しも欠けていない月や、縁ふちまで一杯にされた茶碗と同じ具合に満たされている。聖書の詩編に出て来る、『私の杯さかずきは溢れる』という言葉には特殊な意味があって、私は急に恐くなり、自分を満たしているものがこぼれないためにも、誰も来ないように、と祈る。

それが女というものだろうか。女はいつも自分をこぼしている。子供、男、また社会を養うものとして、女の本能の凡すべてが女に、自分を与えることを強しいる。時間も、気力も、創造力も、女の場合は凡て機会さえあれば、一つでも洩る箇所があれば、そういう方向に流れ去る。女は喉を乾かしているもののために絶えず自分というものを幾らかずつこぼしていて、縁まで一杯に満たされるだけの時間も、余裕も与えられることが殆ほとんどない。

(中略)与えるのが女の役目であるならば、同時に、女は満たされることが必要である。しかしそれには、どうすればいいのか。

一人になること、とつめた貝が答える。誰でも、そして殊に女は、一年の或る部分、また毎週、及び毎日の一部を一人で過ごすべきである。

 
読書会とそれを読んだ後の観点をみんなでシェアしたいと思います。

場所は逗子海岸のフェアトレードカフェ、アマーレにて。

4月15日金曜日 19時からです。

ぜひお誘い合わせの上、来てください。

 
 
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